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(2)ある軍医の日記・平和の世界、戦場の世界
Истории

(2)ある軍医の日記・平和の世界、戦場の世界 

2023年

3月25日(午後6時)オデッサ旅行

休暇でオデッサに行ってきました。すばらしい町で、離れられたくなかった… じゃ、その旅行について話したいと思う。

オデッサは既に忘れていた平和な人生の雰囲気を思い出された。

戦争のなかで暴力には価値がある。敵を殺すために、兵士を無理やりに戦場へ連れて行かせる能力は最高に評価されている。しょうがないけど、僕の心は毎回泣いている。でも平和な所は違う。オデッサ市に友達のおばさんの家に泊まっていたうちに、いろいろ考えてた。癌と戦っている彼女は病気に患っても頑張ってて、この呪われた戦争のせいで一年ぐらい一人で藻掻いている。この人は戦争のことに対して何もできないけど心が大きい方です。鳥たちに餌を与えて、僕にも飯しをくださって、夜を過ごさせてくれた。命を与える母の心である。だけど僕らはいま戦争で殺したり殺されたりしていることばかりで… それは全然正しくないことである。すぐに終わらせて欲しいんだけど勝つまでは無理無理だよね。だけど嫌でたまらない。命を与える心はすべての悪魔の力を超える。弱くても、脆くてもこの命の力は結局悪魔の力を薙ぎ払う。愛を知っている心は憎しみに毒された心より強いから。

春のオデッサは、僕がどれほど戦争が嫌いか分かるように手伝った。この戦争を煽っているやつはいったい誰でしょうか?なぜこの痛みを世界へ送り出さなきゃいけないの? 今前線で死に続けるロシア人はなんのためにそれをやってるのか?そのやつらの母たちはだれですか?どう考えても分からないよ。そういうことは僕にはわかり得ない。

ある意味でこの戦争は二十世紀にあったドイツ人との戦争と比べたらより悪いことだと思う。ドイツ人はただの敵で、裏切り者ではなかった。でも今回は違う。背中をナイフで刺されたウクライナはこのことを絶対忘れない。この痛みを忘れることは不可能だ。ロシア人と後でどんな方法で関係を治したらいいか… 分からない。一生治らない傷みたいな、この傷を何が癒してくれるのかな。僕の目には方法は見えないよ。

4月10日ゴミについて

今日もだいたい静かな一日で、一時間の砲撃しかなかった。だから今回はゴミの物語りにしよう🙂

僕らがいる場所は電気がないし、水道もないし、ゴミを出すことも誰もできない。他の状況下では軍隊は自分でゴミを出すことができるけど、今回は次のような問題がありそうだ。たくさんの兵士がグループに集まれば敵の砲撃を招くことがあり得るのだ。だからゴミを出す仕事は危険すぎて、やる意味がなさそうだ。そうしたらゴミの山を重ねていくよ。それは土壌汚染になり、醜い状態になるけど敵野郎が消えるまでにどうしようもなさそうだ。だから敵野郎の近くは、破壊された少街や田舎と聳え立っているゴミの山々がいつもの景色になっている。あいつらはゴミの山を重ねるためにここに来た気がする。ゴミの魅力に引きつけられそうなるからである。時々、全部破壊するために、ゴミの集まりの理由以外にこの戦争の意味が見えないぐらい。ゴミの神様の勤めみたいな気がする、あの敵野郎。

4月11日戦争の「待つ」

今回は短く戦争の「待つ」ということについて話したいと思う。ほんとは戦争は90パーセントの時間は「待つ」ということになっている。敵の攻撃を待ったり、自分の反撃を待ったり、怪我人が出るかどうかを待ったり、戦争の終わりを待ったりすることである。一方攻撃そのものは数分に過ぎない、負傷は一瞬に受けて、命も短い時間に消えていっちゃう。待つのは長い間ですが、その後の変化はフラッシュのようだ。待つということができなければ変化の嵐の中で失敗するはずだよね。

4月16日イースター

今日はイースターだね。夜はなかなか騒がしかったが真昼は静かです。だからイースター卵を食べたり、休んだり、楽しいことをやりたいほうだいにしたりして時間を過ごしている。戦争が終わってないのに。馬鹿な人達は馬鹿な目的のため自分の人生を砕いてしまった。下らないったらありはしない。なぜただ人生を心の宝石で飾るように生き続けられないのかな?なぜ人生をゴミへ薙ぎ払いたくなるのか?絶対に分からない。友情や愛情に愚かな僕はこのへんにも馬鹿だね。。。

4月23日この日記の目的

久しぶりに古い日本の友達と、僕の日本語の先生たちの中の「初恋」だった「日本語の森」の由佳ちゃんと会話した。一年ぐらい連絡なかったけど話してくれたよ。大人気で、「日本語の森」の社長みたいな先生だから本当に超忙しいんだけど僕のことを忘れたことがなくて、いつもウクライナのニュース見ながら僕を思い出すって言ったから僕は驚いたが大変幸せになった。本当は三年ぐらい彼女のビデオから日本語を勉強し、そこから日本語の味が分かるようになったし、あるとき彼女にも少し手伝ったことあるよ。先生が活動を始めたばかりのとき、応援が必要だったからね。そのとき僕や僕みたいな生徒たちが喜んで手を貸したんだ。楽しい時間だった。由佳お(こんなふうに由佳ちゃんを友達が呼んでいる。僕らは友達じゃないけど、とにかく僕にあの時こういう呼び方は許されていた)はウクライナの状態についてニュースからだけで分かってるし、同じような日本人がたくさんいると思っている。それで僕は戦争について書く理由を見つけたよ。それは由佳おやあの方みたいな日本人はもう少しよく分かるようになるためだ。じゃ、始めましょうか。

最初から戦争は災いとして感じているよ。ただ「戦え」と「急げ、皆すぐに死ぬ、走って、走って、頑張ろう」以外に何も考えなかろうだね。その後誰か死んで、だれか負傷して、生き残った人には必ず変化が起こる。そういう乱れた状態が長い間続けば、それによって結ばれた人は疲労して心のバランスを失う。バランスを失えば兵士は何にも役に立たないクズへと変わってしまう。それはロシア軍の戦い方だよね。新しい兵士たちを吸血鬼のように搾取し、暴力の氾濫へ引き込んで、すぐに抜け殻へ変化させ、捨てっちゃうよね。だからロシアの兵士はだいだい使い捨ての兵士であり、暴力の渦のためにもう一度、もう一度新しい兵士を募集しなきゃならなくなる…

逆に長い時間に生き残りたければ戦争は生活のようなものへと変わらないといけない。周りに地獄であったって自分の周りに特別な家みたいな空間を守らないといけない。かわいいマスコットとか、家から運んできたものとか。できれば毎日戦争以外の活動をしなきゃ。いずれにしても戦争を毎日の仕事として扱えようと。一歩ずつ、コツコツ毎日進んでいく。防御のためにこの塹壕を掘れとか、この砲弾をそこへ運べとか、いつも、いつも見張らわないといけないという命令とか。この人が寝ているうちに、その人が見張ってるよ。しばらくしたら交代する。こんなふうにリズムを守らないといけないよ。守らないと攻撃を見逃して死ぬ。均衡を失えば力を費やして死ぬ。混乱した思いに身を任せればついに狂って死ぬ。毎日働いたら、隠れたら、避難したら、戦えたら生き残りの確率が上がって、兵士の寿命も伸びそうになる。

精神の均衡を保つこと

毎日の仕事をちゃんとすること

戦争についてだけ考えないこころを持つこと

この三つは戦争の中で生き残りたい兵士にとって不可欠な要素だ。

たった一つ、戦争の『仕事』の一部が毎日の殺し合いである。そう考えれば、この『仕事』はどうしても普通の生活にいつまでもならないのだ。でも戦争は戦争だから、こんなことからどこにも逃げられないのだ。

4月24日戦争の精神

今日は続いて、戦争の精神について語っていきたいと思う。昔から武士の精神は勇気や戦う精神と繋がっていて、この日までもそのまま変わらないのだ。ただ勇気にも色々な種類がある。

昔のことなら一対一の殺陣、誰の手がもっと強い、誰が上になるとか、ある程度『フェア』な戦いが多かったですね。現代は個人的な戦いは殆どないよ。遠くから殴られた死は前日の戦争の生活である。この死に対してどんなに強いからといって、意味がないぐらい。砲弾が当たったらバラバラに散らかった体の破片以外に何も残らないのだ。だから隠れるしかない。隠れてはいるが逃げることはないように。こんなふうに死の種類と戦えないのですが、どうであろうと守るべき場所に残るため戦い続ける。それは今の戦争の勇気、今の勇気の精神です。その精神を受け取らないまでに今の戦争に他の戦いの種類はほとんど届かないのに。ここは立てばアーチェリーを怖がったら逃げるしかない、アーチェリーや洗車の後ろから来る敵の兵士たちに対して何もできなくなる。逆にどうであろうとここに残れば、生き残れば、心の中に死の力を超えればついに敵の兵士と出会うことができる。こんなふうに恐怖がない兵士たちと会った敵の兵士たちは自分で戦いの精神を失う、個人的な戦いの前に。受けられぬ死の目の前にビビってない兵士たちは後で自由になり、恐怖のない心たちはついに無敵になること。

5月1日憂鬱

戦争の中で一番卑怯なものは戦争の憂鬱だ。こそこそ近づいてきて、いつの間にか心に爪を刺し、どうしようもなく渦へ吸い込んでしまう。この牙から逃げるために兵士たちは一番危険な所へ一所懸命走って、そこで死ぬ。そのせいで狂気になってきた。なかなか終わらない、長すぎる戦いで兵士たちはある程度の憂鬱にほぼ皆悩まされ、戦いは長ければ長いほどそれが強まる一方だ。それから戦場や占領地の外にに住んでいる人たちは長く戦っている兵士たちの心を分からなくなる。全然違う世界だから。

悪夢みたいな世界をなるべく早く止めるように、こころの底から願ってやまない🙏

5月12日

長い間何も書けなかったが、やっとやる気が出たらしい。よし。今日は憂鬱に歪んだ世界についての物語です。憂鬱というのは… 本当はろくでもないことである。綴じ込まれた空間の中でさまよいながら光なしの、行き止まりだらけの世界である。ボロボロになりかけた魂は躓いて、倒れていって、どう頑張っても出口がない。悪魔の羽みたいなもので綴じ込まれた迷路みたいですね。堕天使の地域ですね。たった一つの薬はどうであろうと諦めないことだ。信じがたいことでも信じろ。光がどこにもなさそうだけど一生懸命に探せ。廃れそうにも一歩ずつ前へ進め。何回転んでも立ち上がれ。いつか迷路の壁は割れてしまうはずだ。いつか果てない闇のなかで一筋の光が闇の世界を滅ぼすはずだ。

5月13日

日記… いや、週記を続けよう😅😁✨

前線で結局反撃が始まって、我々の部隊は防御の部隊から自分の前線の部分だけ守り続ける。敵の反応はあり得ないことはないので、ずっと準備万端。アーチェリーの打つのは終わっていないけれど、いつものままだ。残念ながら戦争の終わりはまだ見えないよ。いつ終わるのか見当もつかない。だから出来るだけ人間の生活らしい生き方を続けるべきだ。そのことでいつか戦争の終わりをたどり着くはずだ。とにかく僕の頭中でこれは一つの思いですね。沢山の人はもう混乱し、自分のことを失い、たとえ戦争は終わったとしても平気な精神へ戻れない状態に陥っている。。。僕はこんなふうになりたくないよ。人生の中にある意味は死の意味ではなく、生きている意味ですね。だから今死神としての僕らはこの状態から抜け出すべきだ。いつまでもこのまま残れば結局狂気になるに決まっている。抜け出さないといけない、絶対。戦争以外にこの世の中に溢れんばかりの意味があるから。全員兄弟はこの意味を手に入れればよい。それは今は僕の一つだけの願いだということである。🙏

戦時名サムライ、ウクライナの軍医

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